「あの山を見ると、
今も当時の
お父さんのことを思い出すんだよ」
九重の自然の聞き取り調査で、
あるおばあちゃんが
ポツリと言いました。

時は1940年代、
太平洋戦争のまっただ中。
お父さんは
「自分が戦地で倒れても、
残された家族が困らないように」と、
夜遅くまで、必死に屋根のカヤを切り、
そろえていました。
おばあちゃんはふるえる声で
教えてくれました。
「夜こっそりと
とびらのすきまから
作業中のお父さんが
気になってのぞいたのよ。
戦争に行くっていうから
ちょっとでも
お父さんを見ていたかったの。
そしたらね、その手が
血だらけになっていて………
とても恐ろしかったのよ。
でもそれは私たちへの
あ…い………………だった…のよ」
その瞬間、僕の中で、
茅葺き屋根と目の前の山の風景が、
溶けて一つになりました。

80年以上前の
お父さんの温もりが、
今、目の前にある。
そこにあったのは、
ただの美しい景色じゃない。
誰かが誰かを想って生きた
「愛の証し」そのものだったんです。
行政の計画に「体温」を〜時松会長が願った、九重の自然と暮らしの継承
平成26年。
僕たちは「生物多様性ここのえ戦略」という、
少し堅苦しい名前の
行政の計画づくりを任されました。
会議の冒頭、
会長の時松さんが
言った言葉を
今でも鮮明に覚えています。
「私たちはこれをただの
行政の計画にしたくありません。
何が絶滅危惧種とか
何が何種類いるとか
何が外来種でわるいとかじゃなくて、
九重の自然が人の暮らしと
どうあったのか、
そしてそれをどう次に伝えるのかを
形にしてほしいです」と。
その一言で、
僕たちの目指す場所が決まりました。
テーマは、「いのちとりどり、誇りの暮らし」。

生きものも人も、
ともに生を謳歌し、
ここに生きていることに誇りを持てる。
そんな未来への「いのちのバトン」を、
土地の記憶から作ることにしたのです。
「土地の記憶」を掘り起こす手法——国指定重要文化的景観の阿蘇や国東半島の地名調査から学んだ、風景が色づく瞬間
土地の記憶はどこにあるのか。
それは人々の
言い伝えの中にありました。
ちょうど戦略策定の前の年、
僕は社会人入学していた
別府大学大学院の文化財学のゼミで
おとなりの阿蘇の
世界文化遺産認定に向けた
地名の調査に参加しました。
現地の人の聞き取り調査では
字図にない地名や
その場所が
暮らしの中でどのように
利用されてきたのかなどを
聞き取りました。

それらを地図に落とし込み
実際に現地で暮らす人の案内で
土地を歩いてみると
単なる地名や地図記号が
まわりの風景とともに
人々の暮らしの色に
変わっていくのを感じました。

僕はこの時の体験や
国指定の重要文化的景観に指定された
国東半島荘園村落遺跡調査の手法をもとに
九重の自然と暮らしが
仲良しだった時代を探る
聞き取りシートを作りました。
18回、67名への古老への聞き取り調査|消えゆく「九重の言葉」を未来へつづる
調査の方法は
九重町を大きく
12の大字界ごとに分けて、
歴史的に集落の成り立ちが
ちがっていたり
野原や山を集落共同で
持っている地域を細かくわけて
全部で18回聞き取り調査を
おこないました。
特に日本は1960年代の
高度経済成長期前後で
人々の暮らし方がガラッと変わり
自然から離れて
効率化を目指すようになりました。
だからその当時
どのような変化があったかを
調べるために
60歳以上の地域住民の方、
合計67名の方から
お話を聞かせてもらいました。
(詳しくは生物多様性ここのえ戦略)

今思えば
当時80代、90代だった方の中には
もう亡くなってしまった方が
たくさんいて
もう聞くことができない
貴重な土地の記憶を
たくさんつづることができました。

九重町民の心の原風景は「川」と「草原」|463種類の生きものと食卓のつながり
「ヤワタロウ(アオダイショウ)は
わたしゃきらいじゃったけど
お父さんから
家の守り神だから
大切にしろって言われちょった」
「ケガをしたら
フツ(ヨモギ)をグチャグチャっとして
ぬっちょった。チドメグサとも言ったな。」

「胃がわりいときは
野原にはえちょった
センプリ(センブリ)を煎じてたよ。
じいさんがよく飲みよった。」
「川に行ってのう、
イショムショ(カワヨシノボリ)とって
遊んでたなあ。」

みんなの話の中には
川と草原の生きものの方言名が
たくさん出てきて
それが日々の
「食卓」と深くつながっていました。
今野焼きによって
草原が守られているエリアは
一部だけですが、
ほんの60年前までは
町内のどのエリアにも
草原があったのです。

聞き取り調査で出てきた
生きものの数はなんと463種類。
その中に方言名で出てきた
生きものの数は207種類と
全体の45%でした。
今、僕たちが
身の回りの生きものの名前を
100種類もあげられるでしょうか?
九重町民の心の原風景は
「川」と「草原」であり
人々はみな
「川」と「草原」の達人だったのです。
人工衛星のない時代の「暮らしの知恵」|山や煙の動きで天気をよむ観天望気
「コブシの花が咲いたらイモ植える」
「フジの花の盛りが、ゼンマイ取りにいい」

「硫黄山の煙が手前に流れてきたら雨が降る」
「涌蓋山に雲がかかったら、雨が降る」
「宝八幡宮の前から風が吹きこむと、雨が降る」
たくさんの言い伝えが出てきました。


人工衛星もネットもない時代、
人々は自然そのものを「よみ」、
それに合わせて生きていました。
それは「非科学的」なものではありません。
おじいさんの、
そのまたおじいさんから受け継がれた、
数百年単位の「暮らしの知恵」。
たった一代の人生では生み出せない、
尊い結晶です。
調査の中で、
僕は強い危機感に襲われました。
この風景がなくなれば、
人々の物語は消えてしまう。
でも、
物語が語り継がれなくなれば、
山はただの
「緑のかたまり」に戻ってしまう。

土地の記憶こそが
僕たちがこの場所で生きていくための
「根っこ」なんだ。

『九重で生まれた
九重の自然観を
どう次の世代に伝えるか。
その自然観こそが
九重の自然を
次の世代につないでくれる
いのちのバトンになるんだ」

絵本『ココノエのこえ』—キャビン・カンパニーと作った、3歳児への「いのちのバトン」
このバトンを形にするため
九重ふるさと自然学校の仲間や
ここのえ子育て支援センターの
行政職員の方が中心になって
1冊の絵本を作りました。
「ココノエ(九重)のこえ」です。

たくさんの
九重の暮らしの知恵をつめこんだ
九重の美しい大地の声に耳を傾け、
カッパなどの妖怪や生きものに出会いながら、
命の尊さに気づいていくストーリー。
そこにキャビン・カンパニーさんが、
圧倒的な熱量で
「いのち」を吹き込んでくれました。

完成した本を手にした時、
じんわりと涙がにじみました。
「僕たちは行政の
計画書を作りたかったんじゃない。
この手触りと、
大地の声を伝えたかったんだ」
現在この本は、
九重町で生まれた
すべての子どもが3歳になった時、
ブックスタートとして
プレゼントされています。
お母さんがこの本を手にとって
野原に子どもと手をつないで
あそびにいく未来を願って。

あきらめないで、希望を吹き込む——「行政の計画」が「いのちのバトン」に変わる時
この活動を通して
僕は自分の仕事に
誇りをもつことができました。
弁護士にも学芸員にもなれず
20年近くもがき苦しんで
何者にもなれなかったけど
それはきっと
九重の土地の声を
次の世代に伝える
大切なお手伝いが
少しだけできたかもしれないと
思えたから。
このプロジェクトに関わらせてくれた
九重町の行政職員の方や
九重ふるさと自然学校の仲間、
地元の先輩方
そして調査に行かせてくれた
当時の職場のみんなに
心から感謝しています。
行政の計画の言葉は、
時に難しく、
冷たく感じられるかもしれません。
でもそれが
「地域の希望」と重なった時、
その言葉は
「いのちのバトン」に変わります。

みんなで、あきらめずに
次のいのちのバトンに
希望を吹き込みませんか。
夜遅くまで戦略づくりに燃え、
一緒に駆け抜けた、
行政職員のあなたへ。
最高のリスペクトを込めて。
みんなの希望になった
『生物多様性ここのえ戦略』の全体版は
こちらからご覧ください!

「ココノエのこえ」は
九重町のふるさと納税の返礼品としても
利用されています↓↓

寄附の使い道には
「1. 九重町の自然保護・保全事業」を
指定できます。
17年の自然保護の経験の中で
地域みんなで知恵をふりしぼりながら
こんなことを実現してきました!
まずは自然保護を続けるために
一見ボランティア精神に反しそうな
お金というラブレターの書き方について↓↓
人口減少社会の中で
外の力を借りながら
みんなの力を最大限にひき出す方法は
こちら↓↓
今は自然保護の仕事を卒業し、
観光地域づくりに人生をかけています!
自然とみんなの「なりわい」が
再び仲良くなる未来を願って。
ぜひこちらもご覧ください!↓↓
自然系の仕事についてみたい!
自然と人の暮らしの間に
根っこをはりたいと考えているあなたへ
熱いメッセージ。
九重で待ってます!↓↓
