観光業は、自然と地方を救うのか。
国立公園の自然保護に
17年ささげてきた僕が、
いま、観光という
新しい舞台(DMO)に立っています。
「自然を壊す側に行くのか」と問われたあの日から
ずっと胸のなかにある、消えない葛藤。
でも、
ほんとうに守りたいものがあるからこそ、
僕はあえて、この不確かな道を選びました。
九重の土の上で悩み、
もがいている、
僕の「いま」を、
正直に記しておこうと思います。
2025年3月。
阿蘇くじゅう国立公園
長者原ビジターセンターを退職し、
九重版DMOである
一般社団法人ここのえ町づくり公社
(以下 公社)へ転職しました。
ここのえ町づくり公社は
観光地域づくり法人として
観光庁が定める地域DMOを目指して
設立された団体です。
17年も地域の自然保護のために
勤めていたのに、
なぜ開発側の
観光産業を振興する仕事に
転職したのか。
応援してくれてた人たちの
理解がえられなかった
実際のエピソードや
大きな開発反対運動で考えたことなど
ありのままの僕の心の動きを記します。

*これは僕の私的なブログサイトであって
組織としての見解を
示したものではありません
観光庁がすすめる観光地域づくり法人DMOとは?
公社は通称「九重版DMO」といって、
観光庁がすすめている
観光地域づくり法人を目指して
設立されました。
DMOとは観光立国を目指す日本が
地域みんながなりわいを作っていけるよう
持続可能な観光地域づくりを
推進することを目的に
立ち上げられた組織です。
2025年10月末時点で登録DMOが約326法人、
候補DMOを含めると350前後あります。
観光庁 観光地域づくり法人(DMO)とは↓↓
https://www.mlit.go.jp/kankocho/seisaku_seido/dmo/dmotoha.html

転職前夜「なんで自然をこわす側の仕事につくんだ?」
とある夜、僕は九重町に移住してから
ずっとお世話になっていた方へ
転職の報告に行きました。
(実際に言った言葉
そのままではないですが
ニュアンスとしてとらえてください)
「実は、長年勤めた
長者原ビジターセンターを
3月で退職して4月から
九重町の観光を振興をする
新しい会社で働くことになりました。
九重町はこのままだと
人口減少が進んでいって
町全体が衰退してしまいます。
九重町の財産である
草原を守る野焼きや登山道整備など
自然保護の仕組みだけでは
町は生き残れません。
人口減少を観光の力で支える
仕組みを作りたいと思っています。」

「……。
なんで観光を振興する必要があるのか?
観光産業は自分勝手に開発して
山にどんどんお客さんを送り込むだけ。
団体旅行がいいといえば
どんどん規模を拡大して
施設の中に大浴場やバーや宴会場を作った。
温泉街の中には共同浴場や飲食店が
たくさんあったのに。
全部自分の中にとりこんでしまって、
温泉街の街並みがさびれた。
今度は露天風呂付きの
離れのタイプがいいといえば
規模拡大した施設をほっぽりだして
山を切り拓いて
新しい建屋をたくさん建てていく。
温泉街がさびれたさびれたというけど、
それは自分達が作ってきたもの。

いつも観光産業は
あれがいいといえばあっちに流れ、
これがいいといえばこっちに流れ。
流行に左右されるばかりで
何も生み出していないんじゃないか。
ただ目の前のお金を求めるだけ。
そしてここは九州の筑後川の最上流部。
お客さんはたくさん来てもらっちゃ困る。
上流部には上流部なりの方法がある。
今よりどんどん来ても
自然の浄化作用を越えてしまう。
くじゅう連山の山のトイレだって
すでにキャパオーバーのはずだ」

「でも町の人口が減っていって
野焼きで草原を守っていくことも
年々難しくなってきます。」
「人口が減ることは悪いことじゃない。
明治時代にはもっと人口は少なかった。
ここに来る人ももっと少なかった。
それでもこの自然は守られてきた。
今は外からたくさんの人が
ボランティアで来てくれるじゃないか。」
「でもボランティアという関係人口は
コロナの時に機能しないことも
あったじゃないですか。
ボランティアさんがたくさんいても
地元の人たちがそこにいないと
野焼きは続けられないと思います。
また人口が減ったら
地元の商店やガソリンスタンド、診療所など
生活インフラがなくなってしまいます。」

「なくなったらなくなったなりに
生活すればいいじゃないか。
不便を楽しむのが
田舎暮らしであって
なんでもかんでも
便利にすることじゃない。」
「でもそれじゃ子育て世代は…」
議論は平行線でした。
何よりも僕たちが
実践してきた自然保護活動を
理解して応援してくれていただけに、
僕が感じている将来の危機感や意図を
相手の胸の内に米粒ほども伝えられず
もどかしさと寂しさで
いっぱいになりました。
僕の中では
自然保護の仕事も観光の仕事も
ひとつの未来にむかっていると
信じているのですが
みんなの心の中では
埋めることのできない溝が
本当に深いんだなと
しみじみと理解しました。
特に観光業は
経済と密接に結びついていることから
ややもすれば
町全体のみんなの利益を求める声よりも
個人や会社のお金の力が
大きくものをいう産業でもあります。
そういう現場を
みんなずっと目撃してきたんだろうなと
想像しました。
1番の理解者であっても僕の思いを
理解できないということは
きっと自然保護活動に
いっしょにたずさわってきた
仲間達や先輩方、
はたまた観光業に関係のない
近所のおいちゃん、おばちゃんからしたら
もっと理解のできないこと
なんだろうと思いました。
頭の中は
これから先の仕事がどうなるのだろうと
暗く寒い真冬のような景色で
いっぱいになりました。

自然保護だけでは、もう「守りきれない」という予感
自然保護の仕事は
しっかり進めてたのに
なぜ一見開発をすすめるように見える
観光産業に転職したのか。
今の自然保護のやり方を
批判するつもりは全くありません。
ただ「自然保護」だけでは
自然保護の現場も
この町も
もたないかもしれないと
感じた出来事がありました。
ここでは日本の
自然保護の現場でおきていることと
実際に僕が体験した
大規模開発か自然保護かで
地域が二分し
胸をいためた
反対運動の2つからお話しします。
「新しい箱」は増えるのに、削られていく「現場の体温」〜日本の自然保護の現場でおきていること〜
僕が勤めていた
阿蘇くじゅう国立公園長者原ビジターセンターでは
毎年環境省から委託金という形で
利用案内サービスや保護活動を行う予算を
もらっていました。
しかしその金額は
ある一定のところから
頭うちになって
逆に仕事を減らさなければならない状況に
なりました。
一方で観光振興という国策にのった
自然利用拠点施設(新規ビジターセンターなど)
の建設予算は年々増額。
これは国際観光旅客税という
利用を支える税が
環境省にも入ってきているからです。
新しい施設はどんどん増えていっても
運営に必要なソフト予算は削られるばかり。
そしてインフレにより
予想もしていなかった物価高。
予算はあたまうちになった上
最大でも10年前と同じ予算しか
期待できなくなりました。
長者原ビジターセンターでは10年前から
くじゅう連山の自然保護活動を
持続可能にするために
民間活力を利用して
ミュージアムショップの充実や
寄付制度や会員制度をつくったり、
観光施設や企業さんと連携した
寄付金付きプランの販売など
さまざまな資金源を作っていきました。

また活動の価値を見える化して
それを対価として支払う仕組み作りも
同時に行ってきました。
この結果、純粋な自然保護活動の支援や
環境教育に使えるお金を年間200万円ほど
作り続けることができました。
しかし最低賃金の大幅上昇が続き
資金は着実に増えていたものの
自転車操業が続いている状況でした。
これだけ血の滲むような努力をしても
状況がまったく変わらない。
変わらないどころか年々苦しくなっている。
これはおそらくうちの地域だけではなく
日本全国の自然保護の現場で
起きていることじゃないかと
思います。
最近では
気候変動による集中豪雨が
5年に1回のペースでやってきています。
僕が住んでいる
阿蘇くじゅう国立公園エリアも例外にもれず、
北部九州をおそった令和2年7月豪雨により
登山道は壊滅的な被害を受けました。

被害の復旧は、
僕たちが作ってきた資金を元に
国、県、市町村や自然保護団体やガイドクラブの力で
迅速におこなわれて
災害発生からわずか3ヶ月で
仮復旧までいくことができました。
だけどまたいつこんな災害に遭うか
わかりません。
また最近ではシカが爆発的に増えていて
草原にある貴重な植物が
食べ尽くされるなど
深刻な食害がおきており
対策に追われています。
守ることと稼ぐこと
両方大事なのですが
人口が1万人にも満たない町で
職員が数名の小さな団体がやる
保護屋はしょせん保護屋。
別に稼いで還元する機関がないと
大好きなくじゅう連山の自然は
持続可能にならないのかもしれない。
そう思うようになりました。
「ふざけるな!」怒号のなかで、僕が感じた決定的な「分断」。
僕が移住してから、
僕が住んでいる地域では2回の大きな
開発反対運動がありました。
一つは国立公園での
大規模宿泊事業の再開発
もう一つは大規模養豚場の建設です。
ここではどちらの立場も批判するということを
いたしません。
ただ僕の心の動きをありのままに記載します。
国立公園くじゅう連山での大規模ホテル再開発の反対運動
国立公園くじゅう連山で
大規模ホテル再開発の
話題が持ち上がったのは2011年。
国立公園事業として
とある会社が経営していたホテルを
食品スーパーの大手会社が引き継ぎ
大規模に再開発したものでした。
説明会に参加したのは
地元の観光協会や宿泊事業者、
自然保護団体、地元の人たち。
説明会はとてもはげしいものでした。

「当社は自然を守りながら、事業を…」
「ふざけるな!!
お前たちがやってるのは自然破壊だ!」
「私たちが守ってきた自然を壊して、
ただのり営業をするなんて許せない!」
「安い宿泊料を設定して、
地元の宿泊事業者をつぶすつもりか!」
「開発責任者の名前と住所をここで言え!」
「…………」
思い出すと今でも頭がガンガンするような
とてもとても悲しい場面でした。
自然保護活動を一生懸命やってきた
地元の人たちや保護団体のみんなの気持ちは
自分も自然保護をなりわいとしていたので
痛いほどわかりました。
九重の自然は地元の人たちだけでなく、
遠く福岡・大分・熊本から
毎週毎週のように
ボランティアで通ってきてくださる
みんなの思いによって支えられています。
事業者さんサイドは
前の事業者が廃業して
廃屋になるのであれば事業をひきとって
お客さんに楽しんでもらい
企業活動を大きくしたい
という思いもあったのでしょう。
開発の規模や
国立公園の核心部という場所の問題も
もちろんありましたが
私の深い悲しみは
どっちが正しいかどうかなんてことではなくて
「双方が交わることが決してない」
という事実だったのだと思います。
説明会が終わった後に、
再開発されたホテルの近くの湿原に行くと
一面に咲いているキスゲの花が
やさしくむかえてくれました。
「争いのない地域にするには
どうしたらよいだろうか」
何も物を言わない花たちは
そこで静かに風に揺れていたのを覚えています。

大規模養豚場建設計画の反対運動
2015年頃、
国立公園くじゅう連山のすぐそばで
また大規模な開発問題の話が持ち上がりました。
今度は養豚場建設計画です。
2011年のホテル再開発の
反対運動の時と同じように
いち住民として説明会に参加し
みんなの動向をかたずを飲んで
見守っていました。
「ふざけるな!この美しい自然を壊すつもりか!」
「美しい自然の中で作ってきた米が
お前たちのせいで売れなくなるじゃないか!」
「役場の担当は誰だ!お前は地元の農家をつぶしたいのか!」
「いえ、私たちはそんなつもりじゃ……」
私も小さな農家をやっているので
地元の農家の人たちの気持ちは痛いほどわかります。
水は米づくりの命です。
みんなくじゅう連山が育む
美しい水でできた農産物を
楽しみにしてくれています。

一方で養豚場ができることで
雇用を約束されている人たちや
土地代が入ってくる人がいるのも事実です。
みんなの言葉を聞いていると
2011年のホテル再開発の時の
説明会を思い出してしまい
動悸がしてまた息が苦しくなり
途中で退出してしまいました。
「なんだろう。この胸の動悸は?」
「なんだろう。この悲しみは?」
「これは本当に誰かが悪いんだろうか?」
「このような問題が再びおこらないようにするには
どうしたら良いだろうか」
夜も眠れないほど考えていました。
そんなときに
60年前にこの大分・九重の地で
自然保護運動をおこなっていた
赤峰武さんの言葉に出会いました↓↓

同時に僕自身に対しても
本当に今まで
自然を大切にする活動ができていたんだろうか?
自然の大切さを外の人ばかりに伝えて
地元のおいちゃんおばちゃんに
伝えられていなかったんじゃないか。
結局僕が自然保護活動をやっている
というのはエゴであって
みんなのことになっていないのかもしれない。
そう思うようになりました。
今ここよりも「ずっとここで生きていけること」を選びたい
農的暮らしをしていると
自然とは守るべき「対象物」ではなくて
人間がその中でただお手伝いを
させてもらっているだけだと感じます。
自然保護運動という言葉ができる前から
日本人は里山という自然の中で
暮らしていました。
田を耕し、畑を作り、家畜を飼うことで
日本の里山の自然はおのずと
守られてきたのです。

僕が住んでいる
阿蘇くじゅう国立公園の広大な草原だって
家畜と暮らしながら農業をしてきたから
牛馬の餌を確保したり
家の屋根にススキ(カヤ)が必要だから
草原に毎年火を入れる野焼きを
続けてきたといいます。
自然保護という言葉の前の時代から
日本人は里山という自然に暮らし、
そこに「なりわい」があったんですね。
「自然」と「なりわい」の関係が
切れてしまったから、
自然保護VS産業 だったり
自然保護VS雇用 だったり
「なりわい」の問題と
ぶつかってしまうように
なったんだと思います。
そして自然から切り離されてしまった
「なりわい」を
自分達で作り出すことをやめてしまったから
外から来た大きな会社に
ふりまわされるように
なってしまったように感じます。
だったら
「自然」と「なりわい」
バラバラになってしまった右手と左手を、
もういちど、自分達の手で
胸の前でそっと合わせればいい。

もともと「なりわい」が作ろうとしているのは
子供たちが安心して暮らしていける土台だし
自然保護が作ろうとしているのも
子供たちが豊かな自然の中で
遊んでいる風景じゃないでしょうか。
どちらも時間軸を現在から未来に移すと
「ずっと、ここで生きていけること」
に向けた取り組みです。
大切なのは、
両方を外の人の手にゆだねるのではなくて、
そこで生きていく人たちが
自分たちの手でしっかりとつかんで
つくることじゃないかと思うんです。
そして令和の今においては
「自然」と「なりわい」を
結びつけることができるのは
「観光産業」だけではないかと
考えるようになりました。
観光産業は「自然」と「なりわい」の接着剤になる
すでに多くの国立公園は
毎年数万人〜数十万人もの人たちが
訪れる観光地として有名です。
観光というと、
食べたいものを食べ散らかして
トイレだけ山に残して
インバウンドが押し寄せて
トラブルを起こす、
そんなイメージを持つ人も
少なからずいることでしょう。
でも地元のおいちゃん、おばちゃんたちが
守ってきた里山の自然を楽しみ
それにお金をきちんと落とし、
そこに住む人たちの暮らしも守られ
その人たちによってまた自然が守られる。
そんな持続可能な暮らしの形を
追い求めることができたら
きっとみんな「ここで生きていきたい」と
思うのではないでしょうか。

宿泊業や飲食業といった観光業だけでなく
農業だってもともと
一緒のところにいたんだから
自然ともう一回手をあわせて
ここで生きていける
「なりわい」になれるはずです。

観光業は
外から町を応援してくれる人たちとの
出会いの場を作り出すお茶飲み場。
このお茶飲み場で
いろんな地域に住む人や
その人たちの手で作られた
「手仕事」と出会って
発見し、驚き、また好きになる。
そんな循環をつくり出したいのです。
幸い日本の里山の自然や神社仏閣などは
世界中の人たちをひきつけています。
そこから生まれている
宮崎駿のジブリの世界だって
鬼滅の刃の大ヒットだって
日本文化と文化を育ててくれた
里山の自然があってこそ
生まれたものです。
このチャンスを活かす手は
他にありません。
あきらめが、町をバラバラにしていく前に。
僕が住んでいる九重町の人口は
2025年の8100人から
20年後の2045年には5800人に
減ると言われています。
子供たちが少なくなればなるほど、
「うちは跡取りがいないから
もう土地を売ろう」
「もう俺の代で終わりだ、あとは知らねえ」
と言って
自分たちの暮らしを
外の人の手にゆだねていく人たちが
増えてしまうかもしれません。
現に全国各地で問題になっている
メガソーラー問題は
そんなあきらめが
産み出しているように見えます。
あきらめが、この町をバラバラにする前に
「ずっとここで
生きていきたいし生きていける」
そんな観光まちづくりをしたいと思い、
2025年から九重版DMOである
ここのえ町づくり公社に入りました。
きっと九重の自然と手を取りあえば大丈夫。
そう信じて毎日過ごしています。
終わりに
自然と、暮らし。
そのふたつが、なかよく手をつないでいる。
そんな景色のなかに
僕たちの子供たちが笑っていたら、
それがいちばん、うれしいと思うんです。
これから、この『イナカノタネ』では
僕が九重町で経験する、
葛藤も、悩みも、小さな発見も、
ありのままにつづっていこうと思います。
正解はまだわからないけれど、
このチャレンジを、
ひとつの「実験」として
一緒に見守っていただけたら心強いです。
追伸:全国で同じ悩みをかかえている方、
ぜひつながりませんか?
共に悩みながら進みましょう!
