「あぁ、これって、ただの食べ物じゃないな。」
ひと口食べた瞬間、
そう思わずにはいられませんでした。

大分県九重町。
この豊かな山あいで育てられた一粒のシイタケから、
じわっと伝わってきたのは、
単なる味覚の良さではありません。
それは、この産業を一代で築き上げた
坂本会長の
「人生の温度」そのものでした。
挨拶に伺っただけの僕たちを
家族のような温かさで迎え、
生産現場の裏側にある
「絶望と再生の物語」を包み隠さず語ってくれた
「やまなみきのこ産業」さん。
なぜ、彼らのシイタケはこんなにも肉厚で、
優しい味がするのか。
その裏側には、16年もの間
暗闇の中で「家族の灯火」を守り続けた、
坂本さんの奮闘の歴史と
それを支えた家族の絆がありました。
今日は僕が九重で出会った、
「商売の本質」を教えてくれる家族の物語
をお届けします。

特産品という言葉に押し込まれた人の営み
「九重町はシイタケが特産品です!」
そう胸を張って言うとき、
どこか「記号」を扱っているような、
不思議な違和感を感じることがありました。
でも、その一粒の裏側に、
坂本さんが人生を懸けた16年の夜があり、
家族の祈りがあることを知ったとき、
その違和感は消えました。
僕たちが本当に触れたいのは、
海外でものすごくバズってるとか、
カタログに並ぶ「特産品」ではなく、
夕方、隣の家から漂ってくる
カレーの匂いや、笑い声のような、
「誰かの幸せや物語が見える光景」
ではないでしょうか。
価格暴落と「16年間の暗闇」— 坂本さんが見上げた夜空
「それまでうちも
原木でシイタケ栽培をしていたんだ。」
会長の坂本さんは話します。
「輸入シイタケのせいで
価格が下がってきたんだ。
それに負けないようにするには
量を作らなければならなかったが、
原木栽培でやると家族産業で
面積はどうしても限られてしまうんだ…」
「それでこれからはシイタケの
菌床栽培の時代が来ると確信して
菌床栽培を始めたんだ」

「1989年4月。
豊後大野市にできた研究所に、
5月から通って必死に技術を学んだ。
九重で夕方15時まで
家業を一生懸命にやって、
それから豊後大野へと走り、
20時過ぎまで菌と向き合う。
気づけばまた新しい一週間が始まっている。
そんな『週を挟んだ往復』を、
16年も続けてきたんだ。」
坂本さんは静かに話をします。
「そんなとき、
もうむちゃくちゃ輸入シイタケが
入ってきたんだよ。
価格が暴落して、
このままなら、
もう倒れるんじゃないかって」
それで、
とっ。 ………。。 ………」
にこやかに話していた
声が突然つまり
上を向いてしまいました。
そのとき
夜ひとりぼっちで帰る
暗い夜道を
想像しました。
娘さんは続けます。
「きっと彼の信念が
今のここを作ったんだと思います。」
冷たい経済システムをうちこわしたのは、土地の傷みを知る絆だった
「このままじゃ、うちは倒れる」
極限まで追い詰められた会長は、
息子さんと二人、
ある地域の菌床栽培の
さきがけの
「師匠」のもとを訪ねました。
その時の様子を、
会長は冗談めかしてこう振り返ります。
「先生に『どこが悪いんだ?
体が悪いのか?』と聞かれたよ。
私は『いや、商売が悪いんです』と答えた。
もう、笑うしかないような
悲壮感だったんだ」
しかし、その切実な「思い」が、
門外不出の壁を動かしました。

師匠は
「あんたは日本でこの技術を知る
3人のうちの1人になるんだ」と、
シイタケの菌床栽培の技術の
すべて授けてくれたのです。
「家族を守りたい」
「この地域で代々続いてきた
シイタケ栽培の火を消したくない」
その言葉が師匠の胸に届いたのは、
坂本さんが、
自分のはずかしい過去も
つつみかくさず話せるくらい、
「ほんもの」だったからじゃないかと
感じました。
家族で守りぬく、九重の誇り
技術を持ち帰り、わずか1年。
やまなみきのこ産業の
凍りついた家計に
ようやく火が灯りました。
「これがうちの看板商品の
肉厚シイタケなんです!
ステーキのように肉厚で
食べるととってもジューシーで
おいしいんですよ。」


そこには、父の背中を追い続け、
今はそれぞれ役割を分担して
現場を支える
お子さんたちの姿がありました。
「父が頑張って
ここまで大きく育ててくれたから。
もっともっと
九重のシイタケのことを
知ってもらいたいんです」
菌床栽培のシイタケを見つめながら
遠くの未来を見つめていました。
九重の自然が
ゆっくり時間をかけて
豊かな地下水を育てるように
家族の絆も
土地への誇りも
ここでゆっくりと
大きくなっているのを感じました。

恩を送る〜やまなみきのこ産業の新しい挑戦
菌床シイタケが作る九重の新しい未来
現在、やまなみきのこ産業は再び
「自然」へと立ち返ろうとしています。

エネルギー高とうに立ち向かいながら、
冷暖房を使わない
自然にいちばん近い状態で
シイタケを菌床栽培する
チャレンジです。
「シイタケは本来、自然のもの。
だから自然から学ぶのが一番いいんだ」
坂本さんのその言葉は
九重の自然や土地が
やまなみきのこ産業を
育んでくれたことへの
感謝と恩返しなのかもしれません。
恩を送る〜人材派遣会社という新たなチャレンジ〜
最近、やまなみきのこ産業さんは
同じ九重町内の
観光牧場のNU:KUJUさんや
くじゅう森林公園スキー場さんたちと一緒に
人材派遣会社をたちあげて
海外から働きたいと
訪れてきてくれる人たちを
九重の家族として受け入れています。

「九重町は山の中だから
いっしょに働く仲間を
見つけるのがとても大変なんです。
だから自分たちで
人材派遣会社をたちあげて
町で困っている人たちを
助けたいんです。」
生産加工場で出会う職員さんたちは
日本の方も海外の方も
ひとりひとり
目を合わせると
やさしそうな笑顔で
こたえてくれました。
みんなここで働くことに
誇りをもってるようでした。
かつて菌床栽培の師匠が
坂本さんに救いの手を
差し伸べてくれたように、
今度は自分たちが、
「支え」になろうとする。
ニュースをつければ
不条理なことばかりだけど
こんな足元に、
希望の物語があるんだよ。
この「大分県九重町」に!!
それをその熱が冷めないうちに
みんなに伝えたくて
夜中まで書き続けています。
観光とは「モノ」ではなく「物語」を届けること。僕たちの目論見
九重に観光に来てくれる人たちは
僕たちを
遠くから来て
応援してくれています。
九重で働きたい人たちは
僕たちといっしょに
九重を守り伝える仲間です。
だから
僕たちは
「モノ」を売るんじゃなくて
みんなの心に「九重」を届けたい。
九重で生きるみんなのストーリーを。
それを情緒的に伝えるだけじゃなくて
戦略的にみんなの心に届けるのが
僕たちの仕事です。
来年度は九重に生きるみんなのストーリーを
伝える大きな企画を目論んでいます。
お楽しみに!
おわりに — 商売は、誰かの心を温めるためにある。
絶望を知っている人ほど、
どうしてこんなに優しいんだろう。
それはきっと、
ひとりで踏ん張ることの限界や、
明日が見えない夜の寒さを、
誰よりも知っているから。
システムという
大きな波に呑まれそうになっても、
九重の地下水が絶えることがないように、
僕たちの『体温』もまた、
誰かと手を取り合うことで、
何度でも再生していける
次にスーパーでシイタケを見かけたら、
ちょっとだけ思い出してみてください。
その一粒の裏側には、
あきらめなかった人たちの
物語が詰まっていることを。
商売は人の心を温めるためにあるんだと
教えてくれたシイタケに心から感謝して。

これを書いている僕は
こんな気持ちで観光と向き合っています!
自然と観光が手をつなぐ未来をつくりたい。↓↓
前職は自然保護の仕事をしていました。
みんなで地域の自然を守るために↓↓
地方に移住したい!
ぜひやってみましょうよ。
あなたの九重町への移住を応援します!↓↓
人は見かけじゃない。
かっこ悪くてもいいじゃない。
中年の危機を泣いて笑ってのりこえてます↓↓
何か相談してみたい、つながりたいと
思った方はぜひエックスから
DMやコメントお気軽にどうぞ!↓↓
