「この気持ちはいつになったら
癒されるのだろう」
母が亡くなり3週間が経った頃
そんな気持ちにおそわれました。
私は肉親を亡くすまで
グリーフケアの存在を知りませんでした。
グリーフケアとは
死別の悲しみを抱える遺族をサポートすること。
でもグリーフケアをしてくれる人って
実は私たちの身近にはいません。
昔はお坊さんがお経をあげるだけでなく
話を聞いてくれたり
故人のエピソードを交えながら
人が生きていくことの意味を
教えてくれたといいます。
お坊さんは説法でグリーフケア。
近所隣の人たちが集まって
お葬式のお手伝いをしてくれて
直会(なおらい)でわいわいしてくれることも
グリーフケア。
でもお葬式など
全てのことが終わって
家族だけになった瞬間
ホンモノの悲しみが
どうしようもないくらいに
おそってきました。
本当の意味での心のケアには
時間がかかるのだと思いました。
時間は薬。
時間が経てば全てを解決してくれる。
とはいえ
このどうしようもない悲しみの気持ちは
一体いつまで続くんだろうと思いました。
その気持ちに大きな変化が起き始めたのは
里山の自然と共に生き
自然の変化に改めて気がつくようになってからです。
春は誕生期。
植物たちは発芽して
新緑がまぶしい。
生き物たちは子供を産み
すくすくと育つ。
夏は青年期。
みんなぐんぐん伸びて
大きくなる。
秋は成人期。
生きものたちは恋の季節。
みんな子孫を残し
自分の体は枯れていき
冬に向けて準備が始まる。
冬は壮年期。
じっと次の春が来るのを
耐えて待っている。
生きものを育てていたり
四季を身近に感じる生活をしていると
生まれたばかりの赤ちゃんが
いつの間にか大人になり
子孫を残して
老いたものは旅立つ。
そうやって、命は繰り返していく。
それが自然の摂理なんだと
気づくことができます。
改めてその営みを認識できたとき
「ああ、母が亡くなったのは自然の摂理だったんだ。」と
私も母の死を受け入れることができるようになりました。
すると
悲しい気持ちは
生きていることへの
感謝の気持ちに変わりました。
里山の自然が
グリーフケアしてくれたんです。
里山の四季は
生から死までの
「いのち」の営みを
間近に教えてくれます。
里山は「いのち」の学校。
もし大事な人を亡くして
心がどうしようもなく苦しくて
終わりが見えないようであれば
里山で自然と共に暮らしてみませんか?
きっと里山の自然は
あなたを癒してくれることと思います。
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