「大変おさみしいことができました…。」
「最期までお母さんもあなたたちも
よく頑張っ……うん…頑張った。」
「疲れてるでしょう。
はい、まずは朝ごはんを食べなさい!」
母が亡くなり
2時間後。
霊柩車で家に帰るなり、
家の食卓にはいろどりみどりの
たくさんのご飯がならんでいました。

これは家に残っていた
家族が作ったのではなく、
いつも仲良くしてくださっている
近所のおばちゃんたちが
かけつけてくれて
材料を持ちより
うちの台所でたくさんの料理を
しこんでくれたものでした。
僕はほんの2時間前まで
生と死のはざまに
たちあっていました。
そして
冷たくなった
「死」のおそろしさに
うちひしがれていました。
でも
手作りの温かいみそ汁が
のどをとおると
なぜか
自分は「生きているんだ」という
あたたかみを感じました。

「皆さん、本当に、ありがとう…ございます…」
「あのね、お葬式を出した家は
お葬式に専念できるように
みんなで加勢するもんだよ。
だから気にせんでいいのよ。
はい、食べよ!これからが本番よ。」
温かい味噌汁とおにぎり、
ぜんまい炊きもの、
大根の煮しめや漬物、
おからのサラダ。
大学病院で数日泊まり込みの間は、
病院内にあるコンビニ飯ばかり。
だから身も心も疲れ切った私たちは
近所のおばちゃんたちの
愛情あふれる料理で
温かい気持ちになりました。
それはまるで亡くなった
お母さんの料理を
食べているような。
僕はこの九重町に
家族とともに移住してきたので
近所に親族もなく
この後お葬式まで
どうしたら良いのかも
まったくわからず
おろおろしていました。
だけどここに来てから
ずっとお世話になっていた
「おわて」の時松さんが
すべての段取りをしてくれました。
母はこちらに来てから
児童クラブや高齢者へお弁当を配達する
ボランティアグループに入れてもらい
近所のおばちゃんたちに
よく面倒をよく見てもらっていました。
だからお通夜だけは
自宅でおこなうことにしました。
お葬式は
車で30分以上かかる斎場で
行いました。
通夜・お葬式が終わるまでの
まるっと2日間、
近所の皆さんは
家族や親類の
ご飯の準備から片付けまで
3度3度お手伝いしてくれました。
数時間前までは
悲しみのどん底にいたのに
たくさんの人が集まって
お手伝いしてくださる姿を見てると
胸が熱くなり
今ここにいることの
感謝の気持ちでいっぱいになる。

「ありがたい」は有り難い。
この世に生きていることも。
そして周りに支えられていることも。
田舎の人間関係は
よく「わずらわしい」と言われます。
だけど、母を看取ったあの日、
僕が知ったわずらわしさの正体。
それは、
どこまでも相手の心と体温に寄り添い、
自らの手を使って、
一人の死を弔い、
送ることでした。
それは単なる「思いやり」
なんて言葉では足りない、
泥臭くて、血の通った、
家族のような絆。
「みんなで生きていく」ということは、
わずらわしい。
でも「わずらわしい」からこそ
どこまでも「あたたかい」。
あなたは
どんな生き方をしたいですか?
「おかあさん、ごめんね」
亡くした気持ちは後悔に。
悲しみは消えないけど
ありのままを受け止められるようになった
僕の記録です。↓↓
